520人犠牲の日航123便墜落事故:40年目の真実 - ジャーナリストが語る地獄絵図と未だ解けない謎

2025-08-11
520人犠牲の日航123便墜落事故:40年目の真実 - ジャーナリストが語る地獄絵図と未だ解けない謎
文春オンライン

1985年8月12日、日本航空123便が群馬県御巣鷹山に墜落。520名という未曾有の犠牲者を出し、世界最悪の航空機事故として歴史に刻まれました。この事故は、航空業界だけでなく、社会全体に深い傷跡を残し、多くの人々の記憶に鮮明に焼き付いています。

事故当時、現場を取材したジャーナリスト、米田憲司氏が、40年目の節目に『日航123便事故 40年目の真実』(宝島社)を出版。その中から、事故現場の様子や、事故原因にまつわる未解明の謎について、衝撃的な証言を語り起こします。

現場で目撃した異様な光景

米田氏が現場に到着したのは、墜落から数時間後。そこは、もはや「地獄絵図」としか言いようのない光景が広がっていました。機体の残骸、散乱した荷物、そして、救助隊員たちの懸命な作業…。その様子を米田氏は、克明に記録しています。

「現場では、まるで蛇の脱け殻のようなものが散らばっていた」と米田氏は語ります。それは、機体の外板の一部であり、事故の激しさを物語っていました。また、墜落現場一帯は、まるで戦場のように荒れ果てており、その光景は、米田氏の心に深い傷跡を残しました。

未だ解けない事故原因の謎

日航123便墜落事故の原因については、ボーイング社の事故調査報告書では、圧力隔壁の修理ミスが原因であると結論付けられました。しかし、事故当時は、圧力隔壁に亀裂が入っていたことが、事故の直接的な原因ではないという説も存在しました。

米田氏も、事故原因については、未だ疑問を抱いていると語ります。「事故調査報告書の内容には、納得できない点がある。事故の全真相は、まだ明らかになっていないのではないか」と、米田氏は訴えます。

40年目の真実 - 犠牲者への追悼と教訓

日航123便墜落事故から40年が経ちました。犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、この事故から得られた教訓を、未来に活かしていく必要があります。

米田氏の著書は、事故の真相に迫るだけでなく、犠牲者への追悼の念を込めた作品でもあります。この本を読んで、私たちは、改めてこの事故の悲惨さを認識し、安全な空の旅を実現するために、何ができるのかを考えるべきでしょう。

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